仏教とは。

仏教と一口に言っても、宗派もお経もお寺もたくさんあって、何がなんなのかよくわからない!と思うものだと思います。

時間の流れや時代の変化で仏教のあり方が冠婚葬祭の儀式に限定されているような風潮も影響していると思います。

それでも世の中の人に仏教を理解し、自分の理解へ導く説法を行うお坊さんもまだいらっしゃいます。

「仏教についてよくわからないよ」とならないように、基本的な仏教というものについて振り返ってみましょう。

目次

仏教とは

仏教を簡単に言うと、

『お釈迦さまと言われる人が修行をした末に得た悟りを元に、
人々にこの世の仕組みを説いて回った真理への信仰』です。

明確なのは、お釈迦さまは説法をする者として尊敬を集めていたと思いますが、お釈迦さまをただ崇拝するのではなく、その説法の内容に意味があるという点です。

宗教といえば、神そのものの信仰心が必要になる場合もありますが、仏教では神の存在などは全く語られていません。
仏教で登場するいろんなインド系由来の神様は後から付け足されたものです。

仏教に登場する輪廻の思想もインド由来の考え方です。

元々は、お釈迦さまが修行によって悟ったことを人に教えて回ったのが仏教の始まりなので、お釈迦さまが伝えたとされる教えに仏教の真髄があります。

仏教が目指すもの

仏教が目指すところは『人が苦しみから解放されて、幸せと安寧の中に生きる』ということです。

その途中にあるのが悟りです。

悟りはつまり「この世のルール(仕組み)についてはっきり認識できるようになる」という状態になることです。

仏教は、誰でも悟ることができると伝えています。
悟りは修行者が求める境地であると同時にそれがただのゴールではありません。

人が苦しみから解放される境地が悟りであり、その後に幸せな人生を送ることにつながるのです。

仏教は『人生の指南書』です。

唯一神のような、人間から届かない神を信じてすがり、なんでも神のお導きと解釈するのではなく、
人間が生み出すさまざまな因果や現世の中の法則を見出し、そのルールに沿って生きていこうとする自分本位な思想なのです。

他の宗教が比較的神に委ねる思想であるにもかかわらず、
ユダヤ教と仏教は「自分自身を信じる」ことを一番に考えた教えであるという点で共通しています。

ある意味、人生は自己責任であり、ただ自分ではどうにもできない因果に晒されながら生きています。

仏教を混乱させる宗派や思想の違い

残念ながら、歴史の変遷の中で、仏教についてさまざまな解釈が現れ、宗派が新たにできたり、修行方法に違いが現れたり、信仰する仏様が違ったり、バラバラになってしまっています。

キリスト教も歴史の中でプロテスタントや東方正教会など、少し思想やしきたりの違うものが存在しています。

人が伝えているものである以上は変化を免れないのかもしれません。

しかし今の社会では歴史の解明やインターネットや文献などさまざまな情報を家にいながらでも見ることができますから、昔の人たちが認識できる範囲を随分超えた知識を持つことができています。

さまざまな宗派や修行があるとはいえ、元は同じものであった仏教の真髄は同じです。

山の頂上への登り道が複数あるように、自分にとって必要だと思ったり、信じたいと思うものを信じてもいいのかもしれません。

このサイトの運営者としては、科学や論理で理解できるものは解明し、迷信めいた思想は考慮に入れないようにしていきたいと思っています。

まとめ

  • 仏教は人生の指南書である
  • 悟りとはこの世のルールを理解することである
  • さまざまな宗派の目的と真髄は同じである

仏教は自分自身を信じることと、この世の真理を理解することを軸として生きることを教えています。

仏像に代表される神への信仰ではないことが特徴です。
私たちを補助してくれる見えないもののことを神というならそれもあり得るかもしれません。

つまり、私たちは見えない神の意図を気にして生きる人生ではなく、
この世の真理の中で自分にできることをして生きることが必要なのです。

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