十二因縁とはお釈迦様が人間の苦しみや悩みの構造を解き明かしたものになります。
『十二縁起』『十二因縁』という場合もありますが、意味合いは同じで12の要素が関係しあっているという真実です。
12の縁とは
無明⇔行⇔識⇔名色⇔六処⇔触⇔受⇔愛⇔取⇔有⇔生⇔老死の繰り返される循環のことを言います。
一つ一つの言葉が抽象的であるので分かりにくいところもあると思いますが、
この循環は人間の活動のすべてです。
- 人間が生まれて死にまた生まれること
- 人間の生きている間の活動
これらが関連しあって物事が成り立っているとしています。
12の要素
・無明
何でもない状態です。カオス(混沌)の状態を指します。何がなんなのかわからない状態です。
・行
なんらかの力が働いてその無明から何かが形成されることを指します。
私たちは普段自分の心の中がどうなっているのか明確に認識できません。
でもその中からなんらかの気持ちが湧いてくることがあります。
・識
なんだかわからないカオスから、認識が生まれるということです。
心から何かが湧いてきて、ちゃんと言葉や理性で認識できるようになる状態です。
・名色
複数の識が集まって自覚が現れるようになることです。
心や体が明確に意識できるようになることです。
・六処
『眼・耳・鼻・舌・身・意』が生じることを言います。
肉体や意識ができたことにより、感覚が現れることです。
・触
自覚される感覚器によって外部を理解できるようになることを指します。
・受
自分以外の何かを感じることによって、自分自身に変化が起こることです。
・愛
好き・嫌い、快・不快など、心の変化によって湧いてくる感覚です。
・取
快・不快の感情がもたらす、執着の気持ちを指します。
良いことでも悪いことでも、人間は強く感じたことに執着してしまうものです。
・有
煩悩が生まれたり、執着から起こる言動を指します。
これが因果の因になります。
・生
因果の因が作られたことによって生じる結果です。
・老死
結果が様々な物事に影響を与え、分解されることです。
そしてまたこの分解された結果が無明に繋がります。
この循環がいい方向に働けば十二縁起と言い、悪い方向に働けば十二因縁と言います。
人間関係を十二因縁でわかりやすく
十二縁起の言葉を比較的わかりやすく変えてみました。
例えば、めちゃくちゃ熱いお茶が出てきて怒っている人を例にとると、
- お茶が出てくる前にすでに持っている今までの過去の積み重ねがあります(自覚)
- この人は物事を偏見を通して見ます(偏見)
- お茶を熱いと感じて(知覚)
- この人はびっくりします(受容)
- この人はそれに対して偏見から苛立ちます(区別)
- この苛立った気持ちにこだわります(執着)
- そして実際に文句を言ったり、苛立たしい行動をします(言動)
- 結果として周りの人から謝られたり、反発を受けたりします(結果)
- 怒った人にはその結果がどこに行ったのか、どこまで影響したのかわかりません(要因)
- なので不明な状態に帰ってきます(不明)
- 心はまだイライラしているかもしれません(心)
- また新たに(あの店、あの人は気が利かない)などの認識を作ります(認識)
こうして、怒った人はこの気分の悪いサイクルの中に自動的に入ってしまうのです。
もしこれが怒らない人だとすると、
偏見の部分が違います
怒った人は「他人には悪意がある」という偏見があったかもしれませんし「他人は馬鹿だ」という偏見があったかもしれません。
それに比べて、怒らない人は「人には基本的に悪意はない」と考えていたりするでしょう。
その上で、熱いお茶にびっくりしても、その不快感や驚きに執着しません。
一瞬は驚いたとしても「めちゃくちゃ熱くてびっくりしたわ」と伝えたり、「さすがに火傷しそうだから気をつけて」と注意したりするでしょう。
だから言動が変わって、結果が変わるのです。
その結果が影響してまた新しい認識が作られることになります。
こうなると良い循環に入っていきますが、怒る人というのは常に自分の心が荒み、自分の認識が悪いものを認識しやすいように歪みます。
いい縁起を維持することが精進するということなのです
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