戒律:人やるべきではない言動の修行

日々の生活を整え、悟りに近づくために守るべき戒(かい)、律(りつ)があります。

戒は、在家の人たち、つまり修行僧ではない人たちが実行するべきもの。

律は、修行僧たちが集って修行する時に守るべきもの、です。

八正道で伝えられた、『苦』を滅して、宇宙の真理に即した生き方をするために具体的に行うのが戒と言えます。

戒は細かく分類されることもありますが、数個の戒としてまとめられているものも多く、僧侶と在家の人たちで守べき物とされる戒の多さが違います。

僧侶となるべき人の戒は、宗派によっても変わってくるのでここでは触れません。
時代にそぐわない戒律やその解釈も変わっていますので、宗派の見解を頼りにしてください。

目次

三学 -戒・定・慧

戒・定・慧を合わせて三学と呼ばれます。
悟りを得るための修行として行うものが三学といえます。

詳しくは八正道を確認いただきたいのですが、
この三学は行動から心の修養につながる段階も表しています。

  • 戒:身・口・意の3つの行いを正しくする規則
  • 定:戒によって整う心の状態を保つ修行
  • 慧:戒・定を保つことによって見えてくる真理を自覚し、煩悩の断たれた境地

私たちが定や慧だけを保とうと思っても、戒が守られていないのならば、その足元から崩れ落ちるように定と慧を保つことはできなくなります。

この3つが整い、揃うことによって悟りの境地に辿り着くわけなので、
戒は一番の土台となるべき重要な決まりなのです。

五戒

在家の人たちが守るべき5つの基本的な戒です。

不殺生戒 生き物を殺さない
不偸盗戒 他人のものを盗まない
不邪淫戒 色欲に溺れない
不妄語戒 嘘をつかない
不飲酒戒 お酒を飲まない

これらの戒は抽象的なので、厳しさの度合いや解釈が宗派や人によって変わっている部分もあります。

不殺生については、畜生なら殺しても良いという考え方があります。
実際、家畜は人間が殺して食べていて、不殺生を全ての動物だとしてしまうと、人間は栄養を摂るのが難しくなってしまいます。

僧侶はタンパク質を大豆で補いながら、今のヴィーガンのような菜食生活が普通でしたが、一般の人たちがそれを続けることは未だに難しいですし、子供の間に動物性のタンパク質を得ることができないのは発達にも影響します。

犬や猫などペットとして飼われる動物に対して人間が愛着を持つようになったところから、犬猫も天国に成仏できるのかどうかという質問が仏教寺院に寄せられることもあります。

不偸盗は、もちろん他人の権利や所有物を奪ってはいけないことです。

不邪淫は、不倫・浮気にかかわらず、配偶者との関係であっても、欲望に溺れ流されないようにという意味ですが、これもどの程度が邪淫であるのかは、解釈が異なります。

不妄語は、細かく分けられることもあり、嘘をつく、愚痴を言う、暴言を言う、一貫性のないことを言うことを禁止しています。

人間関係のトラブルの元ですし、信用できなくなってしまいますし、自分自身すら信じられなくなったり、他人の恨みを買うことまで出てくるということは『苦』だからです。

不飲酒は、お酒に溺れるなということですが、お酒を飲むことによって、冷静な心では無くなったり、暴言を吐いたり、暴力まで振るう人もいますね。アルコールによって、脳の一部の働きを鈍くさせ、自制心が弱まり、普段なら抑えられていた行いも露呈するのです。

仏教は理性によって悟りの境地へ行こうとしているわけですから、理性を無くすお酒は理性を失わせ、悪い因縁を作ってしまったり、普段から飲む癖があるのであれば、悟りへの妨げになります。
飲まないなら飲まないに越したことはないと思いますが、飲むなら理性を保てる程度にしておくことが大事だと思います。

八戒

在家の人たちが月に六日間、五戒と合わせて行なうべき戒のことです。

その6日間の日付のことを『六斎日』(ろくさいにち)といいます。
斎日とは忌み日のことで、不吉や汚れを避ける日になります。

香油塗身戒(こうゆずしんかい)化粧・装身具を使わない
高広大床戒(こうこうだいじょうかい)快適なベッドを使わない
歌舞観聴戒(かぶかんちょうかい)歌や踊りなど娯楽を見聞きしない

非時食戒(ひじしきかい)午後以降、明朝まで食事をしない

上3つが五戒に追加されて八戒になります。

今では斎日の概念が廃れているので、あまり馴染みがないと思います。
現代ではキリスト教的概念が持ち込まれて日曜日が祝日になっていますが、仏教にも安息日のような日があり、これが六斎日と呼ばれるものでした。

陰暦の8日・14日・15日・23日・29日・30日がその日です。

戒を守ること

「人の悪口や陰口を言ってはいけない」と言われても「思うものは仕方ない」といつまでも考えているかもしれません。

嫌な人のことや、嫌なことをネチネチ考えていると、当然悪口言いたくなりますね。
そんなふうに嫌な気持ちになり、言葉や行動が意地悪になるまで、嫌なことを考えることが問題なのです。

戒になっているものは、人にとって誘惑だったり、怠惰な習慣と言えるものです。

嫌なことをずっと考えていることも誘惑と言えると思います。
嬉しくて楽しいことより、嫌なことを思い出している方が、恐怖や不安に対しての警戒から、ずっと簡単で本能的なのかもしれません。

私たちは敢えて、そういう本能的な誘惑を自覚して悪い習慣を抜け出すことで、心が落ち着き、人生の『苦』から少しずつ離れていくことができるということです。

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